【活動報告】1月のマインドフルネス 体験会

【活動報告】1月のマインドフルネス 体験会

昨日行われた体験会の活動報告です。

昨日は、体験会を開催の予定でしたが、参加希望の方がキャンセルされたため、急きょ勉強会へと変更し、小松・中安での勉強会を開催しました。

15分ほどの瞑想を行ったのち、最近のマインドフルネスの動向やお互いの活動について、意見を交わしました。

今回、そういった会話の中で印象的だった話がありました。

マインドフルネスもテクニックのひとつと考えると、ついついHOW TOで考えがちです。今回のような体験会で人に教えるためには、どうやったって言葉でつかえなければならず、どうしても「こうやってやる」というようなHOW TOの部分は必要です。特に初心者が最初にやり始めるときには、「こうやるのが正しい」というような、ある種の正解を提示することが必要になります。
しかし、マインドフルネスとは、本来、「状態」や「あり方」、「態度」を表すものだと筆者(中安)は考えています。
なので、本来、純粋に体験でしか味わえないものであり、感じることでしか知りえないものなはずです。
それを、言葉で伝えようとするとき、どうしても一番大切なものが、その言葉の間から滑り落ちてしまいます。なので、言葉というものを通して、その向こう側にあるものを体験者や学びたいと思う方に身に着けてもらわねばなりません。

マインドフルネスを左脳的に理解しようとするとどうしても、矛盾が生じてきてしまいます。
例えば、マインドフルネスを説明するときに、私は自己洞察瞑想療法を通して学んだので、呼吸に意識を向けて、思考や感情が生まれるのを観察、洞察して、それに気が付いたら、呼吸に意識を戻すという事をアドバイスしたりします。
こう書くと、マインドフルネスでは、「今、ここ」にある呼吸に意識を向け続けるのがマインドフルネスで、思考や感情に意識が引っ張られてはいけないと解釈したくなります。
実際、マインドフルネスを実践し始めると、かならず、そういう風に考えたくなります。
そして、自分で瞑想を行っても、「思考や感情、まわりの雑音などに意識が引っ張られて集中できない」とか、「思考がつぎつぎと浮かんできて失敗ばかり」だという風に考えてしまいがちです。

これは、半分正しくて半分は間違った解釈です。

なぜなら、人間であれば、思考や感情が次々に生まれてくるのは、当たり前のことです。それを押さえつけるのが、マインドフルネスの目的ではありません。かといって、その思考や感情を放置して、それが生じるままに思考や感情の波の中で無意識に生活していては、マインドフルネスな態度は身に付きません。そもそもそれなら、瞑想などを行うトレーニングは必要ないはずです。

では、なぜ、日々の実践、瞑想が大切になるのかということです。
マインドフルネスの実践で大切なのは、そういった思考や感情、様々な感覚に意識が向いたとしても、それを「成功」だとか「失敗」だとか、「良いこと・悪いこと」といった判断を離れ、ただ、「今、ここ」というところに意識を戻していくことが大切です。善悪や可否といった判断をいったん離れて、起こったものを、自分の意識で修飾せずに、そこに置いておこうという「態度」が大切になります。

世の中には、多くの健康法や自己啓発的なテクニックがあります。その多くが「今の自分を変える」とか、「本来の自分を取り戻す」とか、「もっと良くなる」とか、ある状態を「悪い」といったように考え、そこから「良い状態」というある種の正解を目指すような方法です。

マインドフルネスも、ともすれば、そうなってしまいがちです。

しかし、マインドフルネスでは、そもそも「本来の」とか「理想像」「正解」というものを設定しません。
例え、それが良いと感じていようと悪いと感じていようと、まず「今の状態」というのを、そういった左脳的な判断から離れ、ただ感じることを目的としています。
それ以上でも、それ以下でもありません。

じゃあ、それでなんで、様々な効果が出ているのかというと、そういった二元的な判断から離れたところでこそ、始めて二元論的な考え方、「善・悪」「正・誤」の結果生まれている悩みからは解放されるからです。

「本来の自分」というものを、左脳的に考えて、「これこれこういったもののはず」とある種の解答のように設定してしまっては、そうなれない自分というのにさらに苦しめられるという矛盾に陥っていきます。

自分が「こうでなければ」とか「こうしよう」という自分の意識の動きを、ひたすら横において、ただただ、「今ここ」の瞬間に意識を戻していきます。それを繰り返していった先に、それでも出てくる行動、選択、判断、反応、といったものがあります。それこそが、まさに「ありのままの自分」なわけです。

その段階では、もう「思考」「判断」といったものが、左脳レベルでは行われません。
「見ること」「感じること」といったことが、自分の意識的な処理を通る以前に、純粋な体験として、そのまま、「反応」「行動」といったものに表現されていきます。

そのようなレベルに達したマインドフルネスな状態を、自己洞察瞑想法では、西田哲学の言葉を使って、「叡智的自己」と呼び、そのような見ること感じることと、反応すること行動することが一致した状態を「行為的直観」と呼んでいます。

そのレベルに達して始めて、「自分が本当にやりたいこと」「自分の勝手な思い込みではない、自分本来の動きや判断、価値観」といったものが表に現れてくるわけです。

それ以前に、いくら「本当の自分」だとか「本来の」といったことを見つけようとしても、それは、行ってきた従来の慣習にとらわれた思考の中で作られた新たな制限、縛りを自分の中に作り上げてしまうだけのように思います。

曇りガラスを通して、いくらその向こうにあるものを正しく見ようとしても、結局、新たな間違ったイメージを作り出してしまうだけですよね。それであれば。まずは、そのガラスを磨いていくこと、そのガラスの透明度を高めていくことができれば、自然とその向こうにある本当に見たい像というのは、ひとりでに立ち昇ってくるものだと思います。

この辺りは、とても抽象的で言葉では表現しにくいものです。
なぜなら、本来、言葉という道具では決して表現できないものを表現しようとしているからです。

しかし、ここは、マインドフルネスを学んでいく上で、そして、人に伝えていくためには、本当に大切なところだと思います。そして、そういったことを、今回、改めて勉強会の中で二人で確認しました。

今回の勉強会も、お互いにとって大変深い学びとなりました。

 

何を言っているのか、まったく意味不明かもしれませんが、体験会では、こんな話をしていることはなく、初心者の方にもできるだけわかりやすく、マインドフルネスの経験をしているように配慮しております(笑)。安心してご参加くださいね(^^)

また3月に体験会を行う予定です。今のところ、3月21日の祝日を使って行おうと考えていますので、普段の平日ではなかなか参加できないという方も、ぜひ、予定をあけておいてください!

ではでは、今回の活動報告はこれで終わります。(文:中安)

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